ヒアアフター
ヒア アフター - goo 映画

2月25日映画館にて鑑賞
監督クリント・イーストウッドの新作と言えば期待値も上がりそうだが、私は監督が彼でなくてもこの手の作品には、何か見る前から期待してしまう。そして時には手ひどく裏切られたり、期待通りで感動したりする。
この作品は後者。でもだからと言って感動したと言うほどではなかったかも知れない。だけど、好きな作品である事には間違いがない。
最初の津波シーンは凄かった。スマトラ沖の津波を意識した事は間違いがないと思うが、その時に実際に体験してしまった人の事を思うと胸が痛かった。
だけど、このシーンが終わった途端に入ってきた中年夫婦がいて、思わず心の中で「損したなぁ、この人たち。」と思ってしまった。少々の遅刻ぐらいは平気と私も思うときもある。でも冒頭から飛ばす映画もあるからご用心と言うところ。
フランスのジャーナリストのマリーは東南アジアで津波に飲み込まれ不思議な光を見ると言う臨死体験をする。
サンフランシスコで暮らすジョージは死者と語れる霊能力者であったが、今はその力を隠し工場勤務をしている。
ロンドンで暮らす少年マーカスは、事故で双子の兄を亡くしたばかり。その喪失感を埋める事が出来ないでいた。
三つの場所で三者三様の物語が進んでいく。それがまるで運命が導くように彼らはやがて出会って・・・・
そして大事件に・・・なーんてことには巻き込まれない。
静かにそれぞれの物語が進んで行き、静かに終わる。だけどそのそれぞれの物語が見応えがあって、切なかったり涙が出たりと心は忙しい。
映画が終わったときに、隣に座っていた夫婦の夫らしき人がその妻に、
「真面目な映画だったな。凄く真面目だ。うん、良い映画だったな。」と言っていたのが印象的だった。
なんとなくホラーみたいなものを想定してきたのかも知れない。でもこれは人間ドラマ。
映画館で映画を見る醍醐味のひとつは、さりげない他の人の心に触れる事が出来る、そんなところにもあるかも知れない。
以下はネタばれ感想をちょっとだけ。

マーカスのエピソードは痛いし、泣ける。さながら分身だったような双子の兄が突然いなくなり、アル中でドラッグ中毒の母も、更正の為に少年から離れざるを得なくなってしまう。家族から引き離されて少年の喪失感は普通の常識も奪ってしまう。世話になっている里親には親切にもされ、いなくなった兄の分まで部屋にベッドを入れてもらったりもするのに、そのうちのお金を盗んで霊能者探しに奔走する。兄にもう一度会いたくて。
里親側から言ったら、手に負えないとんでもない子供である。喪失感は欠落感に繋がっていて、マーカスはそんな少年に描かれている。
早くジョージに会わせてあげてと思わず祈る。
地下鉄テロ事件は唯一ホラーっぽい場面だと思った。

力を持っていないものは持っているものを羨んで、それは神が与えたギフトだと言う。だが、持てるものはその力を保ちきれないで苦しんでしまう。普通の人が当たり前のように得ることが出来る普通の生活が、彼には与えられない。
何を思ってなのかは明かされていないが、料理教室に通いだすジョージ。そこで知り合った女性とはかなり良い線になるのに、結局その力のせいで離れていってしまう。
しかしこのお料理教室のシーン、かなり色っぽい。
女性が積極的。
だけど好感が持てる可愛い人で、ジョージが彼女の苦しみを助けて何とかなるのかと早とちりをしてしまった。
残念ながらそうはならず、お話は違った結末を迎えるわけなのだが・・・。
ジョージは巡り会うべき人に巡り会うために、ロンドンに来たのかもしれない。
映画館で、意外と長いな、そろそろ終わりなんじゃないのかな。でもここでマリーと会って、そして何を話すのかなと思った途端に、この映画は終わったのだった。
唐突に。
その時見るジョージの幸せな未来の映像。
びっくりしたが、ああ、そう言うことかとラストに余韻が残された。
「今」と言う瞬間は過去からの布石を踏んで踏んでここにいたっているわけで、そしてそれはみな多くの人のソレが絡み合って「今」に導かれているんだなとしみじみと思った。こう言うのは別の言葉で「運命」と言うのかもしれない。

2月25日映画館にて鑑賞
監督クリント・イーストウッドの新作と言えば期待値も上がりそうだが、私は監督が彼でなくてもこの手の作品には、何か見る前から期待してしまう。そして時には手ひどく裏切られたり、期待通りで感動したりする。
この作品は後者。でもだからと言って感動したと言うほどではなかったかも知れない。だけど、好きな作品である事には間違いがない。
最初の津波シーンは凄かった。スマトラ沖の津波を意識した事は間違いがないと思うが、その時に実際に体験してしまった人の事を思うと胸が痛かった。
だけど、このシーンが終わった途端に入ってきた中年夫婦がいて、思わず心の中で「損したなぁ、この人たち。」と思ってしまった。少々の遅刻ぐらいは平気と私も思うときもある。でも冒頭から飛ばす映画もあるからご用心と言うところ。
フランスのジャーナリストのマリーは東南アジアで津波に飲み込まれ不思議な光を見ると言う臨死体験をする。
サンフランシスコで暮らすジョージは死者と語れる霊能力者であったが、今はその力を隠し工場勤務をしている。
ロンドンで暮らす少年マーカスは、事故で双子の兄を亡くしたばかり。その喪失感を埋める事が出来ないでいた。
三つの場所で三者三様の物語が進んでいく。それがまるで運命が導くように彼らはやがて出会って・・・・
そして大事件に・・・なーんてことには巻き込まれない。
静かにそれぞれの物語が進んで行き、静かに終わる。だけどそのそれぞれの物語が見応えがあって、切なかったり涙が出たりと心は忙しい。
映画が終わったときに、隣に座っていた夫婦の夫らしき人がその妻に、
「真面目な映画だったな。凄く真面目だ。うん、良い映画だったな。」と言っていたのが印象的だった。
なんとなくホラーみたいなものを想定してきたのかも知れない。でもこれは人間ドラマ。
映画館で映画を見る醍醐味のひとつは、さりげない他の人の心に触れる事が出来る、そんなところにもあるかも知れない。
以下はネタばれ感想をちょっとだけ。

マーカスのエピソードは痛いし、泣ける。さながら分身だったような双子の兄が突然いなくなり、アル中でドラッグ中毒の母も、更正の為に少年から離れざるを得なくなってしまう。家族から引き離されて少年の喪失感は普通の常識も奪ってしまう。世話になっている里親には親切にもされ、いなくなった兄の分まで部屋にベッドを入れてもらったりもするのに、そのうちのお金を盗んで霊能者探しに奔走する。兄にもう一度会いたくて。
里親側から言ったら、手に負えないとんでもない子供である。喪失感は欠落感に繋がっていて、マーカスはそんな少年に描かれている。
早くジョージに会わせてあげてと思わず祈る。
地下鉄テロ事件は唯一ホラーっぽい場面だと思った。

力を持っていないものは持っているものを羨んで、それは神が与えたギフトだと言う。だが、持てるものはその力を保ちきれないで苦しんでしまう。普通の人が当たり前のように得ることが出来る普通の生活が、彼には与えられない。
何を思ってなのかは明かされていないが、料理教室に通いだすジョージ。そこで知り合った女性とはかなり良い線になるのに、結局その力のせいで離れていってしまう。
しかしこのお料理教室のシーン、かなり色っぽい。
女性が積極的。
だけど好感が持てる可愛い人で、ジョージが彼女の苦しみを助けて何とかなるのかと早とちりをしてしまった。
残念ながらそうはならず、お話は違った結末を迎えるわけなのだが・・・。
ジョージは巡り会うべき人に巡り会うために、ロンドンに来たのかもしれない。
映画館で、意外と長いな、そろそろ終わりなんじゃないのかな。でもここでマリーと会って、そして何を話すのかなと思った途端に、この映画は終わったのだった。
唐突に。
その時見るジョージの幸せな未来の映像。
びっくりしたが、ああ、そう言うことかとラストに余韻が残された。
「今」と言う瞬間は過去からの布石を踏んで踏んでここにいたっているわけで、そしてそれはみな多くの人のソレが絡み合って「今」に導かれているんだなとしみじみと思った。こう言うのは別の言葉で「運命」と言うのかもしれない。