魍魎の匣

1月7日映画館にて
この映画を観に行くんだと言いましたら、姪が
「原作を読んでいないのに平気かナァ。」と言いました。原作を読んでいないと難解だと言うのです。
「平気ですよ。」と、私は即答。
なぜなら、映画というものは原作を知らないからといって観る事が出来ない、理解が出来ないと言うものではないからです。
もし、映画を観て、その映画を理解できなければ、原作云々の問題ではなく、単に自分の理解能力が足りないか、趣味に合わずに「拒絶の壁」が出来てしまったのか、または駄作なだけなのです。
だけど、だからと言って、原作を読んで映画館に行くということを否定しているわけではありません。先に原作などを知っていると、その世界観にほれ込んで、踏み込んで見ることが出来たり、自分の作り上げた世界観を映画が埋める事が出来なくて、その比較に興じる楽しみと言うものがあったりするのではないかと思うからです。
この映画を観て、一番強く感じたのはそれぞれのキャラの魅力です。
古本屋の店主で神主で陰陽師の京極堂(中尊寺)、過去の記憶が見える探偵榎木津、作家の関口を、堤真一、阿部寛、椎名桔平がそれぞれ魅力的に演じています。
ストーリー的には、おおもとのSF部分は好き好きが分かれるところだと思うのですが、つぼに嵌った人にはたまらない魅力だと思います。
また、堤真一は戦後の昭和のレトロな雰囲気付いているなと思いましたが、「三丁目の夕日」のようには話題になっていないナとも思いました。その街並みをどうやって撮ったのだろうと思っていましたら、映画のロケ地と言う事で、最後のエンドロールの時にその仕組みが分かって感心しました。上海ロケで撮ったのですね。ちょっと中国らしい雰囲気も漂っていました。
HPの撮影日誌などが参考になるかと思います。
<以下はネタバレしています>
三つの事件が最後には結びついていく面白さはもちろんですが、その独特な世界観がたまりません。その大元のストーリー、美馬坂研究所の話はストレートな目で見たら荒唐無稽です。でも、そこがこの映画のまさにツボのような気がします。
例えば古本屋の最下段の片隅に埃をかぶって、しかも傷んだ紙に染みだらけ、そんな本に美馬坂研究所物語は書いてあるような気がするのです。(そんな事言ってはいても、ブックオフなどとは趣が違う、古本屋体験なんかは、あまり経験がないのが残念です。今でも神田などに行くと、そういう本屋さんは健在なのでしょうか。)
かなり大昔ですがSFマガジンで、昭和初期の冒険活劇譚を面白おかしく解説する読み物を読みましたが、全てが荒唐無稽、あまりの面白さに打ち震えました。そんな面白さに共通するものを感じたのですね。
丘の上の巨大な箱型建物。迷路のような螺旋の階段を上っていくと、義父を愛してしまった絶世の美女がいて、そして、最後には頭だけになってしまった男の建物自体が体だったと言うからくりを知ることが出来るのです。その男の死は建物の崩壊にも繋がって、主人公達は命からがらそこから脱出を・・・
・・・そんなシーンはなかったですね。箱屋敷での主人公達の最後はコメディ調でしたね。
私がこの映画で特に印象深かったのは、京極堂の陰陽師としての足捌きです。私は、宗教としての陰陽師に傾倒するものではありませんが、漫画の「陰陽師」または映画の「陰陽師」には(これもまた小説の方がパスなのは情けないですが)恋するものであります。深秘御バコ教の玄関先で床を叩くところから、足裁きで魍魎払いをしながら話、説得して行ってしまう所から、全ての所作が美しかったです。
京極堂の虜です。絶対に次回作を作って欲しいと思いますが、どうなんでしょうね。
キャラの魅力では久保竣公役の宮藤官九郎が、意外な気持ち悪さを出していて、良かったように思いました。少年期のトラウマが彼をあのようなものに変えてしまったのだと思います。だから彼も、美馬坂の被害者だったと言えるかも知れません。
「死なない人間」を作るという研究に取り付かれた男と、それに振り回された人間達の悲劇の物語だったのでしょうか。気持ちの悪いシーンは仕方がないと思いましたが、頼子の最後の時、榎木津がその髪を撫ぜていて上げていたのが、印象的でした。
そしてラストシーン、小さな箱に入ってしまった加菜子に優しく話しかける雨宮。
そして、綺麗に描かれた加菜子。
そこはゾクッとするところなのかもしれませんが、なぜだか私はホッとしてしまいました。
描かれていなかったけれど、たぶん全ての悪の根源であっただろう陽子の母のエピソードにも心惹かれるものがありました。でも、それを知りたかったら、原作を読むしかありませんね。または、読んだ人にお話してもらって手間を省くと言う手もあり・・・(′∀`)