結婚しようよ
結婚しようよ - goo 映画
2月9日アリオ亀有MOVIXにて。

映画が始まる時、
「そうだわ、泣いちゃうかも知れないからハンカチを出しておこう。」と冗談で言ったものの、始まって
ちゃあちゃあちゃあ ~ ♪ と、「落陽」のメロディが鳴り響いた途端に、涙が滲んでくるってどういうこと?
いくらなんでも早すぎるぞ、とは思いつつ、この映画はあのシーンこのシーンで涙が滲んでくる。はっきり言ってしまえば、「時代」に対して共通体験みたいなものがある、そういう人だけが行く映画かもなんて思ってしまったりするんだけれど、時折若い人も混じっていたりしても、その人たちが、私のように馬鹿みたいに泣きまくったりしないと言うことだけは、はっきり分かる。
この映画はホームドラマなのだが、アルバムのような映画だと思った。あの時この時、自分の過ぎてきた時代とかぶるのだ。と言っても、前に「つま恋」の記事にも書いたけれど、彼らの思い出のシーンはやはり若干、私の時代よりは前の時代だ。あんなライブハウスやあんなバンダナファッションなんか雑誌の中でしか知らないよ。
そういえば高校の時に、先輩達がやっていたライブの場所は、あんな感じの狭い階段を下りて行った所にあったような気がする。学生時代に地方から来ていた友人の下宿先は、あんなアパートだった。
私が最初の子供を流産してしまった時も、駆けつけてきただんなの顔はあんなだったよな、とか
そのだんなも、結婚する時父と母になかなか言い出せなくて、私は隣で怒っちゃっただよねとか、そんな事が脳裏に浮かんでは消えていく。
共通体験と言えば、あまりに大きな出来事があると、それに直接は関わっていなくても、「あの時自分は~。」とその時の記憶が鮮明なことがある。「時」の共通体験、阪神淡路大震災の一日はまさに、その「時」だと思う。
娘の結婚相手に登場する木村充は、中学生の時にそれを経験し蕎麦屋だった両親を失ってしまう。そして、その後は家族の団欒を知らずに育ち、今はやはり蕎麦屋になることを目指して修行している。
あの時からも13年、自分はどんな風に生きていたのか、やはり脳裏によぎるものがある。
このホームドラマは、そんな風に見ている者の記憶を揺さぶるものがある映画だった。
吉田拓郎の曲の使い方には、私にはちょっと辛いものがあった。でも、中の森バンドやガガガSPの歌う拓郎の曲は、心惹かれるものがあった。良い歌はこんな風に、その人たちの持ち味を生かしながら歌い続けていって欲しいと思った。
この映画で、もう一点、コレはいただけないですよと思ったのは、結婚式のシーンだ。使い古されたエピソードを盛り込んで、馴染み深いホームドラマに徹しようと思ったのかもしれないが、娘の一生に一度の花道に、親があそこまで出しゃばるのは、見ていて少し不愉快に感じてしまった。
が、ラストは良かった。つま恋のチケットを娘からプレゼントされた二人。
私はすっかり忘れていたが、そういえば映画の撮影をしていたとか言っていたようなきもした。
「つま恋」で、主役夫婦と一緒に手を振っていたんだなぁとしみじみと言うか、思わずその時の感激が蘇ってきて、滂沱の涙になってしまった。
―地味で平凡な、だけど一生懸命の人生でしたよ。いろいろあった毎日も、全部昨日にとりあえず置いてきました。そして明日からまた頑張りましょう。―
頑張れ、かって青年だった人々よ。そんなつま恋での気持ちが復活してしまった、いい時間を持てた映画だった。
2月9日アリオ亀有MOVIXにて。

映画が始まる時、
「そうだわ、泣いちゃうかも知れないからハンカチを出しておこう。」と冗談で言ったものの、始まって
ちゃあちゃあちゃあ ~ ♪ と、「落陽」のメロディが鳴り響いた途端に、涙が滲んでくるってどういうこと?
いくらなんでも早すぎるぞ、とは思いつつ、この映画はあのシーンこのシーンで涙が滲んでくる。はっきり言ってしまえば、「時代」に対して共通体験みたいなものがある、そういう人だけが行く映画かもなんて思ってしまったりするんだけれど、時折若い人も混じっていたりしても、その人たちが、私のように馬鹿みたいに泣きまくったりしないと言うことだけは、はっきり分かる。
この映画はホームドラマなのだが、アルバムのような映画だと思った。あの時この時、自分の過ぎてきた時代とかぶるのだ。と言っても、前に「つま恋」の記事にも書いたけれど、彼らの思い出のシーンはやはり若干、私の時代よりは前の時代だ。あんなライブハウスやあんなバンダナファッションなんか雑誌の中でしか知らないよ。
そういえば高校の時に、先輩達がやっていたライブの場所は、あんな感じの狭い階段を下りて行った所にあったような気がする。学生時代に地方から来ていた友人の下宿先は、あんなアパートだった。
私が最初の子供を流産してしまった時も、駆けつけてきただんなの顔はあんなだったよな、とか
そのだんなも、結婚する時父と母になかなか言い出せなくて、私は隣で怒っちゃっただよねとか、そんな事が脳裏に浮かんでは消えていく。
共通体験と言えば、あまりに大きな出来事があると、それに直接は関わっていなくても、「あの時自分は~。」とその時の記憶が鮮明なことがある。「時」の共通体験、阪神淡路大震災の一日はまさに、その「時」だと思う。
娘の結婚相手に登場する木村充は、中学生の時にそれを経験し蕎麦屋だった両親を失ってしまう。そして、その後は家族の団欒を知らずに育ち、今はやはり蕎麦屋になることを目指して修行している。
あの時からも13年、自分はどんな風に生きていたのか、やはり脳裏によぎるものがある。
このホームドラマは、そんな風に見ている者の記憶を揺さぶるものがある映画だった。
吉田拓郎の曲の使い方には、私にはちょっと辛いものがあった。でも、中の森バンドやガガガSPの歌う拓郎の曲は、心惹かれるものがあった。良い歌はこんな風に、その人たちの持ち味を生かしながら歌い続けていって欲しいと思った。
この映画で、もう一点、コレはいただけないですよと思ったのは、結婚式のシーンだ。使い古されたエピソードを盛り込んで、馴染み深いホームドラマに徹しようと思ったのかもしれないが、娘の一生に一度の花道に、親があそこまで出しゃばるのは、見ていて少し不愉快に感じてしまった。
が、ラストは良かった。つま恋のチケットを娘からプレゼントされた二人。
私はすっかり忘れていたが、そういえば映画の撮影をしていたとか言っていたようなきもした。
「つま恋」で、主役夫婦と一緒に手を振っていたんだなぁとしみじみと言うか、思わずその時の感激が蘇ってきて、滂沱の涙になってしまった。
―地味で平凡な、だけど一生懸命の人生でしたよ。いろいろあった毎日も、全部昨日にとりあえず置いてきました。そして明日からまた頑張りましょう。―
頑張れ、かって青年だった人々よ。そんなつま恋での気持ちが復活してしまった、いい時間を持てた映画だった。